私の最終的な単語「相手の時間を大切に」Hatena Blog Final Post
どんなに思いやりがあって優しい人でも
時間にルーズであれば、品を失う。
お金は失っても努力次第でまた取り戻せるが、
時間は取り戻せない。
相手の時間をいただくのだから、
約束以外の時間をムダにすることは「時間泥棒」と同じこと。
自分の時間感覚より、いつも相手の方が時間を重要視していることを
考える。
自分の時間より、相手の時間を考えることで、
品も磨かれていく。
正義と秩序
世の中には「秩序」というものが存在しています。
「秩序」が存在するとそれを破ろうとしたり、乱そうとする者が現れて来ます。
こうして「混沌」が生まれる。
人は自分達で作った「正義」に疑問を抱いてはそれを自分達で「破壊」してぐちゃぐちゃにしてしまう。
そしてまた一から作り直してみるのです。
ある人が言いました。
「正義があるから悪があるのだ」と。
確かにそうかも知れませんが、それは逆もまた然り。
「悪を抑制する為に正義がある」
これは「ニワトリが先か卵が先か?」の話になって来るので横に置いておきますが…
「ルールは破られる為にある」という持論を展開される方というのは、どこかで「人と同じ」と思われるのを嫌っているのか?
「正義」よりも「悪」がカッコイイという「憧れ」を持っているのか?
ヤンチャな子供が出来上がったばかりのブロックをぐちゃぐちゃに崩すように、ストレス発散をしたいのか?
あるいはただの自己チューからか?
「正義とは何か?」
凄く哲学的なテーマですが
簡単に考えると…
「人に迷惑をかけない」
それに尽きるのでは無いでしょうか?
どんな「正義」を振りかざしてみても
人を傷つけたり、人に迷惑をかける事が「悪」なのであって、人に喜んで貰う事が「正義」なのだと思います。
縁
本日はちょっと小噺をひとつ、お話ししましょうかね。
世の中には男と女しか居ません。間をとって「オカマだっているわよ」なんて声も聞こえて来そうですが、ここは男と女って事でご容赦願いたい。
まぁ『縁は異なもの味なもの』と申しまして、まさかこの二人が結ばれちまうなんて!って事が起きちまうのが男女の仲でして、あたしの知り合いにもこんなのが居るんです。
女「私はね、今までもモテモテで自分から男を探したりしなくてもホイホイ寄って来るから男に不自由はしないんだよ。」
男「オイラ、モテたりはないんだけど子供っぽい性格のせいか、人当たりは良くてすぐ気に入られやすいんだ。」
女「私はね、ガキみたいな甘えた奴は大嫌いなんだ。しっかりと大人な考えと行動が出来る男が一番だよ。」
男「オイラ、今までズバズバ怒られた事も無いから厳しく言われるの苦手なんだ。」
女「私はね、ちょっと怒られるくらいでヘコタレちまうような弱っちい男とは付き合うなんて有り得ないね。」
男「オイラ、優しく育てられて来たから、あまりカッカして怒ったりしないんだ。」
女「私はね、ムカついたら感情のままに怒りをぶつけて自分を出すんだ。」
男「オイラ、思う所あってもなかなか表に感情出さずに閉じ込めてしまうんだ。」
とまぁ、こんな感じで相反した二人だったが、可笑しなもんでここからこうなって行く。
女「感情は表に出さなきゃ伝わらないよ!アンタだって自分を持ってんだろ?アンタの優しさは見せかけかい?本当の思いがあるなら行動で表わすもんだよ!」
男「そうだね、表に出さなきゃ伝わらないよね。あなたの言う通りだ。オイラ自分を出して行くよ。」
女「アンタも男ならもっと強くなんなきゃダメだよ!私みたいにもっと強くなりなよ!それとも何かい?アンタの本気はそんなもんなのかい?本気じゃないならやめちまいな!」
男「そんな事ないよ!オイラだってやれば出来るさ!馬鹿にするんじゃねぇよ!」
女「おぉ!アンタもそんな風に感情出せるんじゃないか!ただ優しいだけじゃなくて内に秘めてたんだね。」
男「おう!オイラだって男だ!馬鹿にされりゃ黙ってねぇぞ!」
女「私はね、アンタの本気を知りたかったんだ。本気ならぶつかり合ってケンカもする。ケンカは悪い事じゃない。お互いが本気だからこそケンカだってするんじゃないか。」
男「そっか、優しいだけが男じゃないんだね。あなたはそれを気付かせる為にオイラにハッパをかけたのかい?」
女「そうさ、でもその優しさも大事だと思うよ。私はアンタの穏やかな部分にも惹かれてるんだからね。」
男「オイラはあなたに叱られて初めて自分の弱さを知れた。ズバズバ言うあなたも魅力的で素敵な人だ。」
女「アンタは弱い男なんかじゃない。こんな私に向かって戦って来られるんだからね。」
男「あなたも強いだけじゃない。こんなオイラの為に親身になって真剣に叱ってくれてるんだから。それが優しさなんだね。」
ってな具合に、全くタイプの違う二人が惹かれ合ってくんだから男女ってのは分からないねぇ。
何が縁で知り合ったり、引っ付いたり離れたり、男女の仲は合縁奇縁、因縁復縁、誰にも予測がつかないのが古くからの慣わし。それだけに色々あって当然。
あっ!色と言えば「緑」と「縁」って字は良く似てるが何か関係あると思うかい?
実は全く関係ないんだな。
コレがホントの『縁もゆかりも無い話』
お後がよろしいようで…。
奉仕
人は徳を積む為に
生きていると言っても
過言では無い。
その方法には色々ありますが
ボランティアなどは
一番身近な「徳積み」と言えます。
誰かの為に何かをしてあげる事。
これは人として最も大事な「徳積み」であると同時に人としてあるべき姿なのだと思います。
ただ、奉仕は無償で与えるばかりが正しいとは言えません。
カンボジアやアフリカ諸国などの発展途上国へ海外支援をする場合、国として多くの援助金を用意しますが、道路を作ったり、井戸を掘ったり、技術的な支援を施す場合には、ただ支援してやるばかりではなく、どうやったら出来るのか?実際に現地の人達を動かし、自分達で覚えさせて考えさせる。
甘やかせるばかりが奉仕では無い。
子育てにも同じ事が言えるだろう。
何でもかんでもお金を出してやったり
物を買ってやったりするのは
甘やかしでしか無い。
親として何でもかんでも
手出し口出しするのではなく
手は貸してやっても良いが
自分主体で考えさせる。
それでこそ人間として成長出来るのだと思います。
偽りの頑張り
ありのままの自分を受け入れるというのは
自分を磨くのをやめることだと勘違いしてはいけません。
「もう頑張るのはやめましょう」という言葉を
そのまま信じて、頑張るのをやめて、
「いい結果が出なかった」というのは
単純に怠惰になったことによる、
「原因」と「結果」の関係を無視したからです。
それと同時に、自分の決定権まで周りにゆだねて
「自尊心」も失ったことも原因のひとつです。
期待に応えて認められたいと気持ちがどこから発生して
頑張りすぎたのか、自分を観ることが大事です。
人の評価を得るため、自分の弱さを隠すための頑張りは
自分を磨いていることにはなりません。
頑張れ
「頑張れ!」「頑張らなくていい!」
どちらも大事です。
「頑張れ」は目標があってゴールがわかるもの、
たとえば、マラソンのように優勝したいという目標があって、
42.195km先にゴールがあるものには有効です。
沿道の声援がチカラになったと選手はよく言います。
逆に、目標もなく、将来に対しての希望が見出せない人に
「頑張れ」という言葉は気を使わなければいけません。
自分のやりたいことではないけれども、現状いたしかたなく
やり続けている人に「頑張れ」はかえってストレスになります。
「頑張らなくていい」は同じく、これといった目標もなく、
ゴールが見えない人が無理やり頑張っている人に対して
使う言葉です。
働きすぎや大切な人と過ごす時間まで犠牲にして
頑張ってしまう人は頑張らなくていいのです。
特に責任感の強い人は心身の不調を招いてしまいます。
自分が今、どんな状態か。
頑張らなきゃいけないのか、頑張らなくていいのかを
今一度考えてみることは自分の人生設計の見直しには必要なことです。
パーカー アミン | Facebook
自分の利益、自分の立場に固執していると、意見の違いは対立や問題ごとに繋がっていきます
そのような中、心身の病を抱える人たちが生まれ、世界各地で、紛争や戦争、そして政治上の対立が生まれています。ですが、困難な状況は自分を逞しくしてくれる要素にもなります。そのために必要な態度が自分を離れることであり、そのトキ、出会う出来事や人からの話が新しい世界へと繋がっていくのです。
変化変容がこの世界の本質です。宇宙の始まりから続く変化変容の物語の中で、人は生を受け、それを次へと繋げていくのです。そういう大きな視点の中で自分自身の価値を付けること、それが生きることの本当の意味です。人々が自分の利益や立場を離れ、困難を通して自分たちを逞しくしていったトキ、表面上の違いを超えた真の調和が訪れ、そのトキはきっと地球とも調和した暮らしを営んでいることでしょう。